「会社・地域を応援するデザイナー」の原点と大切にしていること

「会社・地域を応援するデザイナー」の原点と
大切にしていること

ALO _横山典子

こんにちは、会社や地域をデザインで元気にするデザイナー・ヨコヤマノリコです。
埼玉でグラフィックデザインを、またこの数年は公的機関でデザインで中小企業さんの経営をサポートするお仕事もしています。

美大出身でもない自分が、なぜ今デザイナーをやっているのか、きっかけとそこで学んだこと、大切にしていることの3つについてお話したいと思います。

目次—

はじまり
1.商いに囲まれて育つ
2.秋葉原の洗礼を受けたカラーリスト
3.きっかけは1枚の売れない服

販売の現場で学んだこと
4.売れない商品をいかに売るか
5.POPはキャッチコピー練習道場
6.自然と回してたデザインのPDCA
7.腰かけ仕事がデザイン×経営の下地に

孤独と誇りと
8.悲しいできごと
9.経営者は孤独
10.ローカルプライド
11.一緒に未来の種を育てませんか

 

はじまり
1.商いに囲まれて育つ
出身は埼玉県の小さな街。実家は関東一円に広がる婦人服のチェーン店を営み、幼い頃からお店が遊び場。お客さまや従業員さん、出入りするメーカーさんに囲まれ賑やかな環境で育ちました。

創業者の父は仕事が趣味。母も1店長として働いていたため、家にいても自然と話題はお店の経営のこと。一度も喧嘩をするのが見たことがないほど、仲が良い夫婦で、娘の私を愛情いっぱい育ててくれましたが、母は流行の目まぐるしいアパレル業界が大変だったのでしょう、「在庫を持つ商売をしちゃダメよ。」が口癖でした。

その言葉がマントラのように刷り込まれ、大学卒業後は何か手に職を、と思うようになりました。折しもバブル時代。何を血迷ったか、決まっていた就職を蹴り、カラースクールに通いました。独立費用を貯めるため、実家の系列店で販売員として店に立ち、合間にファッションや建物のカラーアドバイスなどを行い、休みなく働く日々が続きました。

 

2. 秋葉原の洗礼を受けたカラーリスト

しかしカラーのアドバイスだけのサービスなんて、田舎にはほとんど需要がありません。このままではいつになっても食べていけないと考え、小さな頃から得意だった絵を生かし、企業さんや病院向けにコーポレートカラーとロゴマークのデザインを提案しはじめました。

パソコンに詳しい友人から、ロゴやマークを作るならMac!と勧められ、すぐに秋葉原へ。
ちょうど Appleがモノクロのノート型のMacを販売し出した頃で、相談して選ぼうと店員さんに話しかけたところ、氷のような冷たい対応。「まずはコンピューターのことを勉強してから来い」と一喝され、帰されました。
自力で覚える世界なんだな、と洗礼を受けました。25年ほど前のことです。

そんなわけで、時間があればMacを触り、独学で操作を学びカラーやデザインのプレゼン資料を作りました。
何も考えず、ただただ自分が好きなデザインを作っては提案していました。

 

3. きっかけは1枚の売れない服

転機になったのは、販売員として店に立っていたある日の出来事です。

普段は店長や先輩が行うマネキンのコーディネートですが、ちょっとした遊び心で、動きのなかった商品をいじりました。
ジャケットを合わせ、スカーフを加える、そんな程度でした。

が数時間後、それまで2週間も見向きもされなかったその服が売れました。驚くと同時に興奮しました。
自分の手がけた陳列が売れた?!
とても小さな出来事でしたが、私にとっては大きな一歩でした。

 

販売の現場で学んだこと

4. 売れない商品をいかに売るか

だんだん慣れきて、あえて売れない商品をどう売るか試すようになりました。
「ここがダメだから売れないけど、これと組み合わせると逆にいい」という風に、弱みを強みに変える作戦です。
くる日もくる日も店中コーディネートし、売れなければ変え、様子を見るの繰り返し。どんどん的中率が上がり、コーディネートを上から下までお買い上げなんてこともあり、すっかり夢中になりました。

 

5. POPはキャッチコピーの練習道場

陳列のほかにも、もう一つ試していたことがあります。金額などが書かれた「POP(ポップ)」です。それまでも何度も書いていたものの、おすすめの一言を添えるようにしました。いわゆる簡単なキャッチコピーです。

コピーをつけたPOP商品は、陳列の時と同じように動きが鈍い商品でも、動くようになることがわかりました。
「こうやって組み合わせるとおしゃれ」「この素材は〜〜〜だから使いやすい」「ここがデザインポイント!」「〜〜〜だからこのシーズンに便利」、などほんの一言ですが、どんどん書き添えました。

 

6. 自然と回していたデザインのPDCA

もちろん他にも、文字の大きさや色、イラストなど工夫を重ね、様々なパターンでお客さまの反応を見ました。
どんな言葉だと売れるのか、どんなデザインだと目を止めてもらえるのか、毎日実験です。

コーディネートしては様子を伺い、POPを書いてはじっと反応を見る…ちょっと気味の悪い店員かもしれませんが、今思えばちょっとしたデザインのPDCA*を回してたのだと思います。

狙いが当たることはもちろん楽しかったのですが、それよりも、お客さまに喜んでいただき、スタッフも売上が上がることでやる気が出ること、お客さまも働く人もみんなが元気になる循環を生み出せたのが一番嬉しいことでした。

7. 腰かけ仕事が「デザイン×経営」の下地に

日常的に各所からデザインのお仕事をいただけるようになり、最終的に新宿で小さな広告宣伝の事務所を開きました。

腰掛けと思っていた販売の仕事でしたが、「デザインを経営に活かす」というベースになりました。
お客さまのニーズから考え始める、弱みを強みに変えて現状を突破する、という大事な2つの姿勢と、デザインやことばの力が売上を後押ししていくのを体験と共に学びました。

 

孤独と誇りと

8. 悲しいできごと

仕事も軌道に乗り生活できるようになったころ、日本経済の冷え込みがどんどん進み、アパレル業界の雲行きが怪しくなってきました。
次々に実家とお付き合いのあったメーカーが倒産、閉鎖。父と同じチェーン店の仲間の閉店や廃業も続きました。

そんな中、悲しい知らせが2つ届きます。
1つは、父の店で働いていた方が亡くなられたこと。
もう1つは、父が癌になったことでした。

 

9. 経営者は孤独

父の店で働いていた方は、独立し自分の店を経営していたのですが、不景気の波に飲まれ、自ら命を閉じたとのことでした。
小さい頃可愛がってくれた優しいお兄さんで、なぜ…という気持ちでした。

また、程なくして父が癌で入院。病床においても常に店のことを心配し、最後に緩和ケアを受けていましたが、会社が大変なまま後を継がせた兄に申し訳ないと、意識が朦朧となりながらも、口にするのは経営のことばかりでした。

経営者は孤独です。
自分のできることで、一人でも辛い思いをする経営者さんが減り、少しでも元気になってもらえたら。
そう思うようになりました。

 

10. ローカルプライド

同じ頃、結婚生活が破綻し、実家のある埼玉へ戻りました。
若い頃は好きでなかった地元の街でしたが、戻ってみたら、街では蔵の保存活動が行われ、お店やギャラリーとして生まれ変わっていました。こんなに素敵な財産があったのかと驚き、生まれ変わってにぎわっている姿を見て、初めて自分の街を誇らしく思いました。

活動に参加し新しい仲間ができ、様々なデザインを手掛けさせてもらう中、徐々に自分自身も元気を取り戻し、子供たちも街に誇りを感じながら、のびのびと育っていきました。
そして、自然とさまざまな人がそれぞれの地域を好きになり、誇らしく感じるようなお手伝いをもっとできればと思うようになりました。

 

11. 未来の種を育てませんか

こうして「経営」と「地域」は、自分の中で大切な2つのテーマになりました。

経営で元気になってもらうこと、
地域をもっと好きになってもらうこと。

デザインでにぎわいを生み出し、元気や誇りを感じてもらう。
これが自分の使命です。

死ぬまでに一人でも多くの人を元気になってもらいたい、
そして、私たちが住んでいるこの世界を、もっと良い場所に。
そう思って、毎日奔走しています。

 

一緒に元気になりませんか?
そして住む街を、もっと笑顔あふれるところに!

どうぞあなたの夢も聞かせてください。
そして、一緒に未来の種を育てましょう。