まちとビジネスの“うまくいく”を応援する私の原点
はじめまして。
埼玉を拠点に、グラフィックデザインを通して事業と地域の元気を応援している、ヨコヤマノリコです。
美大出身でも特別な肩書きがあるわけでもない私が、
どうしてこの道を選び、今も続けているのか。
そして、どんな想いを持って仕事をしているのか。
この自己紹介では、「きっかけ」「現場での学び」「今、心にあること」の3つを軸にお話しさせていただきます。
商いに囲まれて育った日々
生まれ育ったのは、埼玉の小さな町。
実家は関東一円に店舗を持つ婦人服チェーン店で、子ども時代はお店が遊び場でした。
お客様、従業員、出入りの業者さん…人の出入りが絶えない賑やかな環境の中、商いが日常そのものでした。
家では、両親が経営の話を交わす姿が当たり前。
しかし、母の口癖は「在庫を持つ商売はしちゃダメよ」。
アパレルの厳しさを身近に感じていたからこその言葉です。
その言葉がずっと心に残り、「自分の手で食べていける技術を身につけよう」と思うようになりました。
大学卒業後、当時は珍しかったカラーリストの学校へ。
並行して実家の系列店で販売員として働きながら、カラーアドバイスの仕事にも挑戦していきました。
秋葉原で受けた“洗礼”と、Macとの出会い
とはいえ、カラーアドバイスだけではなかなか仕事にはつながらず…。
得意だった「絵」を活かして、ロゴやコーポレートカラーの提案を始めたのが、今につながる第一歩でした。
そんな折、デザインをするならMacが必須だと聞き、秋葉原へ。
けれど、何を買うべきか尋ねた店員さんから言われた一言は、晴天の霹靂でした。
「(人に聞く前に)まずはパソコンのことを勉強してから出直しては?」
「誰も教えてくれないなら、自分で調べ覚えるしかない」。
そう腹をくくり、独学で操作を学び、ひたすら提案資料を作り続けました。
20代後半のことです。
1枚の“売れなかった服”が教えてくれたこと
大きな気づきを得たのは、販売の現場での出来事でした。
ずっと売れなかった服に、なんとなくコーディネートを加えてディスプレイを変更。すると、その数時間後に売れたのです。
「え?あの服が…?」
それはまるで魔法のようで、心が震えました。
この体験が、私のデザインの原点です。
販売現場で学んだ「伝える力」
売れない商品をどう売るか。
弱みをどう強みに変えるか。
店内のコーディネート、POPづくり、キャッチコピーの一言…。
毎日が小さな実験の連続でした。
どうしたら目を引くか、手に取ってもらえるか。
気づけば、自然と「デザインのPDCA」を回していたのだと思います。
誰にも言えずに抱えていたその先に
アパレル業界の不況が続く中、実家の取引先も次々に廃業していきました。
そんなある日、2つのつらい知らせが届きます。
ひとつは、父の店で働いていた方が、独立後に経営に行き詰まり、自ら命を絶ったということ。
子どもの頃に慕っていた優しい方で、何年も「なぜ?」の答えを探しました。
もうひとつは、父の癌の発覚です。
病床で生死の境目にあっても、口にするのは会社のことばかり。
経営者が抱えたものの重さを目の当たりにしました。
中小企業や小規模事業の経営者は、情報や資金が限られ、外部に相談することさえ難しいことも多い。
そして気づけば、限界まで社長がひとりで走り続け、命を絶つほど追い詰められてしまう。
そんな現実が、すぐそばにあるのです。
だから、1つでも肩の荷を下ろし、現実を動かす支えになれたら。
そして、「そういう存在が身近にある」ということも、もっと知ってもらえたら。
そんな思いが、私の活動の出発点です。
ローカルに根を張って生きること
私自身も結婚生活を終え、実家のある町へ戻りました。
かつては好きになれなかった地元。
でも戻ってみたら、歴史的な建物を活かしたまちづくりが進み、まるで生まれ変わっていました。
「こんなに素敵な場所だったんだ」
誇らしい気持ちが生まれました。
地域活動を通じて新しい仲間と出会い、デザインの仕事を通してまちづくりに関わる中で、自分自身も元気を取り戻していきました。
「うまくいく」が増えると、人もまちも元気になる
こうして「経営」と「地域」は、私のなかで大切な2つのテーマになりました。
小さな困りごとを一緒に解決していったり、魅力がきちんと伝わるように工夫したり ————
そんなふうに向き合っていくと、結果や数字に現れ、少しずつ空気が明るくなっていくのを感じます。
そんな光景を何度も見てきました。
お客さまが喜んでくれ、働く人たちももっとイキイキし、 最後には経営者の方がふっと笑顔を見せてくださる。
「ありがとう、おかげで助かったよ」 ——
その一言に、いつも胸があたたかくなります。
こうした“うまくいく”の積み重ねが、人を元気にし、街を元気にする。
そんな連鎖のきっかけになれるよう、これからも、 目の前の現実を少しずつ動かすお手伝いを続けていきたいと思っています。